Monday, 11 October 2010

This is Hideaki Tanaka.

チャイニーズ、チニート、ジャップ、Fuck Off!!!... 白人から黒人、おまけにバングラディッシュやインド、パキスタン人まで幅広く、いろいな人に散々コケにされて来た。きっと一人で行動していることが多いからpeasant達にとっては攻撃しやすいんだと思うし、よくここまで腐らないでやってきたと思う。

実際僕は弱い人間だから「心の支え」が必要だった。それと同時に頑固な性格でもあったから、「差別される理由」がハッキリしない限り納得できなかった。「他国の文化」「女性に対する立ち振る舞い:Lady First」「人生におけるPriority」等、失敗から学んだことは多かったし、過去の日本人がどうやって異国の地で「尊敬や信頼」を勝ち取ってきたのか調べ参考にもした。

最終的にたどり着いたのは「本当の歴史」を通して理解した「日本人としての誇り」であり、「武士道精神」が自分のPersonalityの根底にあったことも大きかった。きっとこれらのことがなければもっと早くに潰れていたと思う。

そんな中で人種の違う(バックグラウンドが違う)友達ができたことは自分の財産で、いい部分だけ上手くとり込むことの出来たラテンアメリカの文化が助けてくれたことに本当に感謝している。

コロンビアンの友達は「日本人=お金を持ってて冷たい人種」と、みんな口をそろえて言います。僕は貧乏な日本人でよかったと思う。

Thursday, 7 October 2010

環境によってこんなに自分の考え方が変わるとは...。

イギリスに来る前、誰がここまで自分国:日本に誇りを持つ人間になると予想できたでしょうか!? 最初のイギリスでの目的は「2年英語を勉強して日本に帰る」、ただそれだけでした。

イギリスでの数多くの差別経験から、日本人の精神・国民性、白人社会・国際社会におけるにおける日本人・アジア人の地位・評価、また本当の日本史、他の国の文化と歴史等、いろいろなことを調べ・勉強しました。

最近のBlogは、この手のネタばかりで暑苦しいと思いますが、僕がイギリスで会った多くの知人はみんな自分の国に誇りを持ち、歴史をきちっと知っていて、そしてその歴史に対し自分の意見を持っています。

経験談のひとつですが、昨年夏のクラスメイトだったアルメニアの20前後の女の子達に、僕は「第一次大戦下で行われたトルコによるアルメニア人のジェノサイドについてどう思うのか?」と、聞いてみたことがあります。(口説くのではなく、こんな政治的な質問をしている僕自身もそうとういっちゃっていますが...。)

返事として、「確かにそれについてはトルコが謝る必要はある。けれど、それは過去の話で私達の世代の話ではない。歴史として理解はしているけれど、だからといってトルコ人を嫌う必要もないし、将来のことを考えて行動するほうが大事。」と、意見をくれました。彼女達の夢は外交官で、Junior UNに参加していたりと超ーエリートな人達でした。「国の将来を背負う凄い若い世代」に会うことが出来た初めての経験だったのを鮮明に覚えているのと、彼女達がアルメニアに戻り1年弱経った後、ある日突然Facebookで僕を見つけ声を掛けてくれた時は嬉しかったです。他にも、ラテンアメリカンにチェ・ゲバラの話をすると、彼らはヒーローを鼻高々に話をしてくれます。

多くの日本人はこのようなことをこれっぽっちも考えていないと思いますが、インターナショナルな環境に入れば入るほど自国の文化について意識・質問されることが多くなり、そのなかでも質問者は「自分の意見」でその人を評価します。僕も日本の文学についてまだまま知らないことが多いので、もっと本を読まなければいけないのと、他の国の文化や民族紛争の歴史等についても同様に勉強する必要があると感じています。

そういえば、同じく昨年の夏ロシア人のクラスメイトと村上春樹の話をしている際、別の村上(村上龍の作品)について突っ込まれて聞かれたときは答えようもなく、困ったものでした。今思うと三島由紀夫や大江健三郎等の名前が出てこなくて良かったと思っています。ちなみに、ドルトエフスキーがいることもあり、読書がロシアの文化のひとつです。

Wednesday, 6 October 2010

ノーベル賞受賞おめでとう

と言いたいですが、多くの研究者が日本を離れ海外で研究している現状を考えますと、素直に喜べないのが第一です。

また、文系職と理系職で給料格差が殆どないこの国の給料システムにはかなり問題があり(たぶん日本しかない:だから世界的に見て「貧富の差が最も少ない国1位」に繋がる)、医療従事者なのに日本でのありえない給料の低さの話を他の国の人にしますと、いつもすごく驚かれます(どこの海外でも医療従事者は基本的に高給取り=Middle Classで社会的Statusが高い)。

「武士は食わねど高楊枝」とは言ったものの、限界を超えたら栄養失調で死んでしまいます。

おまけに、(どの職場でもいえることですが)仕事が出来ない歳を取った社員を助けるだけの「年功序列」がある限り、有望な若手が潰される可能性が非常に高く、会社全体の利益また国益を考えますと、すべて悪循環に繋がります。資源の恵まれない日本では「技術」・「知恵」が全てを支えていましたが、この現状から判断して10年20年後には当然日本は3流国家になるはずです。最後の砦の(多くの医療従事者がありえない給料で耐え忍んでいる)病院が崩壊したらすべてが終わるような気がします。

医療崩壊について言わせて頂くと、何年もしくは何十年か前にイギリスでは医療崩壊が起こりました。あまりの低賃金・重労働に耐えかね多くのイギリス人医師がアメリカに逃げました。そのため、イギリスの病院ではインド人の先生が多いです。残念ながら日本の場合は、日本語以外の言語を喋ることのできる医療従事者は殆どいないため、多くのスタッフは「耐え凌ぐか自殺する」というどちらも地獄の選択肢しか出来ないのです。

システムを変えようとしても、「自分達は昔苦労してきたのに、若いやつらが得をするのは許せない」と妬むのが年功序列で甘い汁を吸っている歳を取ったスタッフなので、日本には「希望」はありません。

Monday, 4 October 2010

残り少ない今年の予定

先日、年末帰国予定を投稿しましたが、「12月中旬にある、Working Holidayの予約がきちんと取れたら」という時のみ帰るわけで、無理なら往復£700もする航空券を買うお金をヨーロッパ旅行にまわすだけです。

未だに足を引っ張っている英語の試験、翻訳作業、そしてすべての申請を11月末までにですべて終わらすことが出来れば、12月に学校を仮病で休んで3,4日程、昨年のように旅行に行ける気がします。

両親が3月下旬に来た際に、仕事を1週間弱休んだ以外は大きな休みも取らずやってきました。今現在、風邪が治らないまま1週間が経ってしまい、体が弱くなってきているのを感じています。12月のクリスマスの週まで休みなく学校に行く予定なので、少なくともあと3ヶ月は自分の体に頑張ってもらいたいものです。

今年は昨年以上にどこかに出かけることは少ないですが、その分休日はコーヒーショップに行ったりと、「英語の勉強」に時間を費やしていることが多いです。一般に言われるように、日本人がネイティブスピーカーと対等に話せるレベルに達するのは少なくとも4年かかるわけです。イギリスに来てから2年と4ヶ月、まだまだ英語の勉強に時間を掛けなければいけないのと同時に、現地の大学や院に行ってないこのDisadvantageに変わる何かを見つける方法があります。